きづかいが微笑ましい

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とある寺院にお招きいただき、厠に用足しにいったときの話です。あまり細かな情景を見ないで、出てくる空間はやはりトイレ(厠「かわや」)でしょうか・・

心の余裕があるとき、ふと!鏡から調度品に目をやると、花瓶に刺してある「花」に気が行き、暫く眺めていると、いつもの感じと程遠い花々に気づき、後で伺うと良くぞ気づかれましたねと物静かに「尋ねられる方はそんなにいませんね」と返ってきた。これはなかなか花の位置といい色の配置とか根元のバランスなど「美術」の心得のある方ならすぐに只者ではないと気づくはずですね。

しばし用足しを済ませて、この空間に酔いしれた思いです。

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和の心の中に、さりげなく「もてなす心」が日本人には粋でなんとも言えない感動を秘め味わう心地良さを戴いたようにも覚える日々であった。

トイレと言っても、日本の場合トイレの神さんがいたり綺麗にしているお店はなかなか人気も良いし、ご婦人方は必ず何処の場所に行っても、必ず注視する場所のようでそのような話題は必ず話される。このことを考えても「トイレ(厠「かわや」)」は実生活に重要な事柄なのではないのかと再確認をした。

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