”しつけ”と言う言葉を少し考えてみた

先週辺りニュースで騒ぎになっていた北海道の子供置き去りのことを調べるとネットでもかなり物議をかもしているようである。生活環境が益々変化しながらも、昔ながらの、子供に対する教え方もまだまだ浸透してます。これらの事柄も『時間と年月』をかけて改善されるであろうと思います。
それと気づいたのですが、時代の変化と共に衣食住も便利になり、苦労を経験していない民間人の相談する唯一助けになる窓口、弁護士(弁護士団含む)などの資格を持つ方々が「連れ去り助言商法」などの巧妙な悪だくみを働かせ、善良な国民を惑わせたり誘導させたりしているケースもネットでは情報満載である。
検索事項:連れ去り、違法な連れ去り、実施誘拐ビジネス等々数々存在する。尚、前者のとおり窓口であり助けの場所である公共司法や公務に携わる方々の中でもこのような知識を有せず安易にそのような団体に紹介してしまい難題を多くしてしまっていることも否めない。大正、昭和、平成、令和と変化している中でわが国の中でも、各家族化が進み、昔のように3世帯同居も環境も破壊され親から子、子から孫に伝えなければならない事柄も軽薄になりグローバルな団体に狙われることも多々見受けられるこの頃です。

躾(しつけ)とは礼儀作法を仕込むことと辞書でも記述されている。しかし「仕付」とも書き人間の性質だけを指さずに、田植え・裁縫・ペットなどにも使われます。

元来私はこの『躾』と耳にすると、茶道・華道・香道などに使われることにまず最初に頭の中に描かれ、『所作』と並行してやはり和服姿や立ち振る舞いがメインでうかびます。でもご家庭ではことばの使い方・靴を脱いだときの整理整頓・ご飯を食べるときの御箸の持ち方、使い方(箸のつけ方)、畳のふちを踏まないことなどなど、挙げればきりがないくらい躾と言う言葉に遭遇する。

私たちの時代の教師の教机上に『竹の根』の乾かしたものがありましたこれは『教鞭』といわれるほど、あるいは鞭(むち)の役目を果たしてました。現実にはあまり生徒達が叩かれた記憶がございませんが、勉強していて怖かった時期を思い出す。

農耕文化が全盛の時代から田植えなどで「仕付け」をしながら、人間社会の「躾」の形成が成り立ってきたのではなかろうか、「人としてより人らしく」と言う想いを次の世代に伝えてゆきたかったのですね。身を美しくするという躾は日本元来の言い回しでこれまた固有の進化を遂げてきたわけですね。

どこでどう間違ったか・・しつけと称して『虐待』になるケースも最近目立ちます、それに『手加減』の仕方もわからない人も多くなりつつある気がする。教育の難しさも加わってかなり根気と忍耐を自分(大人)が試されていることに気づき速く悟る事が大切です。それに真の愛情をこめて躾を教えたなら少しは良くなるかもしれませんね。「教えているつもりが逆に教えられている」ことが多々ありますから・・

昔の子供時代と、現在・未来の子供の時代の知識の吸収力は、驚くほど加速して教える側が付いてゆけない現状も懸念せざる昨今なので大人もそれに習うほどに勉強し順応しなければなりませんね。

松下政経塾のサイトにもっと詳しく記載されていますのでまた参考にして頂ければ尚良いかとも思われます。

竹の画像を選んだ理由は「まっすぐな素直な性格に」との想いでアップしました。

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