アイドルとファンの位置関係はどうだろか

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一連の忌まわしい事件を目にしたり聞いたりする機会も多くなって来た。

過去にも大物スターや俳優・女優さんへ劇物を投げたり殺傷事件はありました。現在との違いは、昔の『どさ回り』『流し』などの距離よりも世界的・国内的に通じるSNSというツールがもっと身近に感じる距離感になったのも一つの特徴といえる。

そもそも、『アイドル』という呼び名はなにか?辞書で調べると第一に「偶像」「崇拝物」と訳されそれから、憧憬の対象者、人気者、若手タレント、歌手と訳されていると思います。まぁ宗教的観点から診ると、特に中世キリスト圏や一神教の教育では禁止されている事項でもあった。仏教の教えでもそれに似た、戒律も存在します。もっと古くからだと、縄文時代の発掘物にもみられる土偶も、もしかしたら対象かもしれませんね。

現在のように電子ネットワークが進歩途上のばあいは、環境も変化しているのであまり厳格に言われなくなったかもしれません。このような意味合いを参考にし心に止めての話です。

地下芸能活動を一生懸命しながら、やがてメディアに出るまで大変な思いや艱難辛苦を経て晴れの舞台に出るのです。アイドルにとって、ファンは必須です。一昔前なら有線放送で飲食店やネオン街に流してもらったり、レコード店にお願いしてサイン会などしたものです。

こういうケースの事件は、極一部の心の彎曲や歪や心理不安定異常者、倫理観の欠如がエスカレートして発生する悲しい出来事で、ファンでなくても許せないことです。

通常のファンなら常識の話なんですが、ツイッターなどでガチで話もできるので、それは喜ばしいことでもあるが、やはり何事にも決まり事や『第一線』を超えないことが定義づけられこれは必須条件だと認識する必要があります。1対10くらいなら、お名前も覚えているでしょうが・・無理な話です。

陰ながら応援しますとか応援しますという簡単な言葉の中に、『深い意味が』あること、日本人なら持っている(日本人特有と定義づけます)、『思いやり』がこの中にも現れるのがアイドルとファンの立ち位置かとも思います。

昔の教育の『道徳』という教科がしかも、一方通行の教育でなく、地域こぞって双方向に復活することを期待したい気分です。少しは日本の精神心理環境がよくなるように!!

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