我々日本人特有の風土としても、一年の月うちの半分を過ごし、来たる『夏の暑さ』も控え、また半年間の我々の知らず知らずの「穢れ」などを祓って、無病息災などを祈るのが習わしとなっている。
日本人の一般人の多くは、キリスト圏や一神教などのような、定期的な信仰対象の習慣はかなり表面的にはどうも現れない感じもする。それに日本人は概ね「神様」を意識的に信仰するから神社に出かける訳でもなく、信仰行為というよりも無意識な「習俗的行為」だという説が強いかもしれないです。なので外国の方の目には不思議に映るらしく時々そうコメントをいただくことも多々ある。
とはいえ、きちっと『信仰心』をもって日々感謝し祈っている方々もいらっしゃるので一概に、そうだとは断言できないのも事実ですし、霊感のような感受性の強い方々は「習俗的行為」とは考えず、やはり、神様という存在を畏怖しながらも「心の親」として慕いまた霊的に授受作用生活が働くのも事実でしょう。
夏越(なごし)とは 和し(なごし)で本来は神虜を和らげる意味だとも神道学者さんは言っています。早ければ6月中旬から月末までくらいに神社に行けば、大きな人間がくぐれるくらいの「茅の輪」が設置されていると思います。(最近過疎化に伴いない茅の輪が設置していない場合もある)
この「茅の輪くぐり」は古来の神話に基づくものとも考えられ、「孫民将来」の文書(近畿地方を主体に各地に広まった民間信仰とも伝えられている)などが挙げられる。
我々はともすると、忘れがちな「精神生活」を思い直すために
敬神生活の徳
- 神様の恵みと祖先の恩とに感謝し
明(あか)き清き真(まこと)を以て祭祀にいそしむこと - 世のため人のために奉仕し、神の尊もちとして世をつくり固め成すこと
- 大御心をいただきて睦和らぎ国の隆昌と世界の共存共栄とを祈る
この3項目を思い起こし、新たな気持ちで また元気よく 日々の生活に「生かされる」ことが一番良いのではと、また少なくとも近づけるように努力すべきと自分的には考える。
玄関の注連飾りにも茅野輪ではございませんけど、同じような文札が掲げられる。そのほか正月注連縄などに「笑福」「招福」がある。