令和弐年

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あけましておめでとうございます

令和元年から令和二年に切り替わりました。お正月(朔日)も、三が日で正月気分も過ぎ去る現在、以前は小正月(一月十五日)までは、御年賀など届いても、慶ばれる時代でしたけれど、今やそういう雰囲気も稀なように感じる。また年明け年賀も、定着してないかもしれないが、喪中葉書が事前に届いてる場合、年明けに何らかの、メッセージを添えて、労をねぎらことで心が伝わるのでは?と感じるこの頃です。

お年玉

年々お年玉を懐紙に入れる金額が上がり10歳くらい幼児でも万単位のお金を入れて差し出すという、まぁ良いのか悪いのか定かではないけれど・・大人になって一万円を稼ぐのにどれだけご苦労するのかその苦労を感じる機会もこれからの子供世代に教えなければならないのではなかろうか(賛否両論あるかとも思いますが)
『有り難味』を感じるか、それとも『人のお金に頼る』ことで満足するのか、そこら辺の教え方とか、以前は躾けと言っていたが社会的にしっかり根付かせることで、日本の「人」としての成熟した立派な成人に成長させることも大事ではなかろうかな?

お年玉の意味

本来のおとしだま

元来お年玉とは『歳魂』と言って年々迎える『歳神様』のめでたくもありがたい、印として、戴く意味合いも日本人なら忘れてはいけませんね。正月のメインは『歳神様』をお迎えして、一年の始まりとします。なので『大鏡餅』は必ずお祭りし、そこに歳神様をお招き入れ、所謂『歳神様』へのお接待に力をそそぐことです。そして『子鏡餅』は、お歳魂(お年玉)として戴くことが筋でしょう。

また正月三が日くらいは『日の丸国旗』を玄関でも、あるいは、外に揚げれない場合は自宅の一番神聖な場所(床の間とか)に、国旗を立てることも必要でしょう。(最近は国旗を揚げない家庭も多いですけれども)

もう一つ付け加えるなら「お雑煮」の場合、『朔日は一個、2日目は二個、三日目は三個」あとは、ご自由に自信のある方は・・四個、五個、六個・・・と増やすのもありかと思いますが・・まさか?一日に十個以上食べれる剛力な方も少ないと思いますけれども(´m`)クスクス

初詣

初詣もメジャーな神社仏閣に詣でることも人気の一つですね。でも、これも元来その土地で生まれ育った、『鎮守の杜』身近な土地で影響を及ぼしている神社、お寺なら『檀家寺』(旦那寺ともいう)にまず真っ先に詣でご挨拶をされることを奨励したく思っています。それから、人気のある神社仏閣に詣でることでしょうか~~

地域の中には神社仏閣も寂れてしまい、朽ち果てているところも見受けられますが、

必ずしも寂れている感じがしても、有志の心温まる気運の高い方々が支えている境内・他、「掃き清められ・清楚な社・祠」は尊崇の気持ちをもってお参りしても差し支えないかとも、感じております。

それはそこの地域にお住いの方々の心意気がそうさせているだけで、取り戻す努力も必要かとも思われます。達人なら、いつどこにいても神々と語り合うことも可能かとも思いますけれど、我々一般人はそうも行きませんね、地域の活性化は一人一人の意識の高まりもあると良いのでは?、と感じるこの頃です。そういう私の地域も年々過疎化の一途をたどっていますが、それなりにヨチヨチ歩きですけれども、気運は流れていますのでひとまず安堵はしております。

ツイッターとインスタ記載の語句の説明

SNSに新年の挨拶年賀をアップした、
桜背景の7文字の説明を此処の記しておきます。

今年選んだ句は「東溟天暁湧金輪」です。
一山一寧は渡来の仏僧、しかし鎌倉時代に手腕を発揮し、銘家となっております
検索すればすぐに詳細がヒットしますので、興味のある方は知らべ見てください。

私は、一人個人というより、その詠まれたであろう「語句・書」に意味合いのあることを重点的に考えております。

さて、「東溟(とうめい)」の「天暁(てんぎょう)」に「金輪(かなわ)」「(湧わく」という目出度い情景に目が留まり、数回音読黙読を繰り返しました。

『金輪』とは、大きな円輪で最高峰をなす位に当たります。
『東溟』とは、日いずる国、我が国日本国を表しますね。「東」(太陽が昇り始める)は日本です。
『天暁(曉)』は夜明けで、あけぼのですね。

令和に入り、混とんとした現在、世界に対して日本の立ち位置関係を高貴に戻す願望と希望を託しての念を込めて、年賀ご挨拶画像としてアップローしました。

SNSに記載の年賀
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